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新井明恵って誰?〜学生編〜

2019.09.09 | Category: 自己紹介

こんにちは!

兵庫明石市、女性の腰痛専門整体院のあすらく治療院、新井明恵(あらいあきえ)です。

前回の続きで、今回は小学生から高校生までの少しエピソードを話していきます。

運動できない少女

小学生の時は、張り切り少女。

 

特に小学校低学年の時は、男女関係なくサッカーで遊んだり、

 

朝練のバスケットボールに行ってみたり。

 

あ、ルールは全く知りませんでしたけどね。笑

 

ドッヂボールは、、、当たり屋でした。

 

というか、逃げてるんですが、ボールが投げられる方にばかりカラダが勝手にいってしまうんですよね。。

 

大縄跳びは、最初から固定された位置からだと跳べるのですが、回ってる中に走って入るのはできませんでした。

 

もちろん入れたとしても、今度は出ることができませんでした。

 

腹筋もできなくて、なんせ体育は苦手でした。

算数が苦手でがんばろう

座学の方では、算数がとっても苦手で、1年生の1学期の通知簿で引き算が「がんばろう」ついたことを覚えています。

 

そこから算数・数学は全然わかりません。

 

いまだに割合とかできないので、お買い物とか「何パーセント引き」ってのは、なんか安いくらいの感覚でしかいません。

【転機】明石へ転校することに

小学3年生の頃、両親の都合で明石市へ転校してきました。

 

コンビニがない・自動改札機がない・木の電信柱があったり・他多数・・。

 

衝撃でした。

 

通学路を歩いていると、夏はカニが大量に歩いているのをみてさらに衝撃でした。

弟が2人できました

小学4年生の時と6年生の時に弟ができました。

 

弟が欲しいと思っていたので、めちゃくちゃ喜んでいました。

 

私は昔から寝ると起きないので、弟たちが夜泣きしていたかは知りません。笑

バレーボール部に入部

近所の友人に「バレーみにけーへん?」と誘われ、踊るバレエのことと勘違いしてました。

 

「踊らないバレーやで!」って言われましたが、なんのこっちゃと思い、見学に行き、そのまま入部しました笑

 

最初は球拾い・声出しからでした。

 

やったことないことだらけだったので、面白かったですね。

 

3年間バレー部に所属しましたが、あまりうまくありません。

 

ですが、やりきりました。

中学もバレー部

中学生になったらバスケやる!って言っていたのですが、風の噂で「

 

バスケの2つ上の先輩はヤンキーやから怖いらしいで」

 

こんな噂を信じた私は怖くなり、やっぱりバレー部に入部することになりました。

 

結果的に、バスケの2つ上の先輩に可愛がられるなんて思ってもいませんでしたが笑

ついていけなくて苦しい

小学校の時のバレーとは違い、集団行動はあるし、敬語は使わないといけなくなるし、練習時間も、練習内容も、準備も片付けも・・・・

 

敬語は使えなかったのでよく怒られました。

 

集団で声出しながら走るのですが、ついていけずよく離脱して怒られました。

 

練習がきつくなってくると、いい加減にやることが増えたので怒られました。

 

・・・とまぁよく怒られていました。

 

顧問の先生や先輩たちは大変だったと思います、私に色々言わないといけないことが多すぎて。

評議委員・体育委員・修学旅行委員・執行委員

中学生までは、目立つことが好きで。

 

しかもリーダー的なことが大好きで。

 

各学年1回は評議委員(クラス委員)・体育委員になりたくてよく立候補してなっていました。

 

お勉強ができないから、内申点をあげたいという裏もありました。

大反抗期時代の高校生

中学生の時も、少々の反抗はありましたが、

 

高校生の時は凄まじかったと思います・・・。

 

残るブログには書けませんが、相当ひどかったですね。

 

学校遅刻・サボりはよくある話。

 

クラスの中の輪に入っていかない。

 

宿題はしない・提出物は出さない。

 

プリントは渡さない。などなど。

 

この頃は親と喋った記憶はありません。

 

トゲトゲしすぎて誰も寄ってきませんでした。

今振り返ると

なんであんなんだったんだろう??って思いますね笑

 

「成長期」と言ってしまえば、綺麗な言葉で片付きますけど、

 

やっぱりコミュニケーションって大事だなって感じますね。

 

肯定や否定とかではなく、「へぇ、そうなんだ」っていう事実を受け入れてもらえるだけでよかったのかなぁ?

 

って今なら思います。当時はわからなかったけど。

 

就職成功→内定取り消し

高校3年生になってから、進路を決める時、私は「就職」を決めていました。

 

8月くらいに学校からの就職探しで、9月に面接に行き、内定をいただきました。

 

3学期頃から自動車免許の教習所に通い、卒業式まであと1週間となったところで、学校から呼び出し。

 

母と2人で校長室に通されました。

 

校長先生と学年主任・クラス担任・就職内定先の方に囲まれて、

 

「一体なにごと???」

 

要は、内定取消しということで。。。

 

えー!!!って感じで言葉が出ませんでした。

 

私が非行だとかそういうことではなく、就職内定先の経営が1年持ちません。だから他を探してください。ってことでした。

慌てて就職探し

4月から働けるところを見つけて安心していたのが、いきなりこんなことになり就職雑誌を3冊買いました。

 

高校生の私ではわからない情報がたくさんありました。

 

とりあえず最初から見ていきましたが、

・20歳以上

・自動車免許(AT限定不可)

・短大・大卒以上

 

こんな項目がたくさんありました・・・。

 

私は、

・18歳

・自動車免許(AT限定)

・高卒

 

でしたから、とっても慌てました。他になんも資格なかったですしね。

 

とりあえず20歳〜って書いてあっても電話しましたし、

 

大卒以上・AT限定不可のところには片っ端からかけました。

志望動機なんてないわ

何社か受けましたが、まず聞かれることは、

 

「どうして当社を受けられましたか??」の質問です。

 

「んー。。。」答えられませんでした。

 

片っ端からかけているんですなんて言えなかったですしね。笑

 

志望動機なんて考えながら電話していませんでしたから、自分がなんの会社に面接にきているのか、行ったのかすら覚えていません。

 

ですが、なんとか何社目かで受かりました。

 

そんなぐちゃぐちゃな学生時代でした。